ペプシダックストリートに建立されたジャンヌダルクの美しさに見とれていた俺は眩暈と吐き気と頭痛に陥っていた。エクスプロージョントキシックになってしまった以上、治癒を必要とする。私は前近代的作法の美しさにすっかり心酔していたので、それにならい、動物園へと向かうことにした。「ネオ山手線」っていう「上海ハニー」より俗悪な名前をつけやがった中曽根康弘の曾孫(名前は忘れちまった)は先祖帰りでもしてしまったんじゃねぇのか、もしくは腓返り?と疑問と爆笑を混在状態にしたまま電車に乗り込むと、神田駅の高架下に蠢く小さな蟻どもが誰かが吐き捨てたチュッパチャップスに群がるさまが見えた。人間の視力もここ70年で上がったものだ、と呟きながら上野へ降り立つ。所要時間950p/mなんて糞食らえ。アルマーニのコーデュロイジャケットにサブリナパンツをコーディネイトした暴力団の連中がオイドンに跪いて靴を舐める。素晴らしいぜ、プレモダン。上野動物園の風景を見て、オイラは某石原への疑念ではなくペストに犯された東京への回顧へとひたすら時間を費やした。「クセナキス上海ハニー」、彼女の言葉の影が薫り出す。教育勅語に倣った教育を受けた彼女はプロイセン流教育を受けた僕と比べて内耳構造・警戒能力の分野で遙かに優れていた。和音構造の特殊ペンタを透徹していた当時の教育勅語編纂者に感謝を表すと同時に憎むのも忘れないよ、ワシは。優れてるのが総てじゃないんだから。サブリミナルスーサイドが世界の終わりまで永遠に放送される有楽町の街頭テレビは55年に作られたものだから常にモノクロだ。恐竜の絶滅の想像図(2歳児が書いた現代芸術)から人間の絶滅を描いた設計図までテレビで流される。「世界の終わり」まで流れる「人間の絶滅」ってなんて偏狭的なんでしょうか。糞尿のように流されていくんなら、江戸時代の農業用法に戻ればいいのに。時間を戻す。上野公園のクラッシュゴリラはその名の通りクラッシュギャルズのクローンゴリラで胴体を共有し、顔がそれぞれ独立している。奇形とか言う奴がいるならそんなやつは処刑だ。シャム双生児の美しさを知らない者は「切れたナイフ」で出川哲朗の餌食になればいい。
僕の父親は週末にしか家にいない。
俺、暇だなー。